1980年代トレンドは「小麦肌」?

日本初の日焼け止めは大正時代
「色の白いは七難隠す」という言葉が象徴するように、日本人は古くから、白い肌に特別な価値を見出してきた。
そんな日本で、国内初の日焼け止めとして発売されたのは、1923年(大正12年)の「ウビオリン」(資生堂)だと言われている。当時は産業化と大正デモクラシーによる女性解放によって職業婦人が登場、化粧が身だしなみとして定着するほか、「はいからさん」「モガ(モダンガール)」と呼ばれた女性たちが闊歩した時代でもあり、ファッションや余暇を屋外で楽しむ女性が増えた時代でもあっただろう。
「小麦肌」が愛された時代
第二次世界大戦終結後は、アメリカのトレンドが流入するようになる。1960年代になると、バカンスで日焼けした肌がステータスとされ、日焼けした肌にあったポイントメイクが流行した。日本でも「小麦肌」がトレンドになり、資生堂やカネボウなどの化粧品メーカーも綺麗に日焼けしたモデルを用いた化粧品広告を展開。スキンケアカテゴリーでは美白成分が認可され、シミ対策として注目を集めていたものの、トレンドに敏感な若者たちの間では、日焼けを防ぐどころか、サンオイルなどでいかにきれいに肌を焼くかが関心の的となり、この流れは1980年代まで続いた。
SPFを明示した初の日焼け止めが誕生
しかし時代が進むにつれ、紫外線が肌へと及ぼす悪影響について専門家の間で知られるように。資生堂は紫外線のリスクを啓蒙すべく、1972年には国際シンポジウム「光と皮膚のセミナー」を開催。1980年に満を持して発売した日焼け止め「資生堂サンスクリーン」では、日本で初めて、SPF表示(紫外線B波カットの指標)を行った。
紫外線による肌への悪影響について、なかなか認知が進まない時代ではあったが、1985年、南極でフロンガスなどの影響によるオゾンホールが発見され、1988年にオゾン層保護法が成立。地球を覆っているオゾン層が破壊されると、地表に到達する紫外線量が増えることが知られるようになり、のちの研究では紫外線照射量の増加により皮膚がんの発症率も上昇することがわかった。



