Category Navi 歴史を知れば、データがもっとおもしろくなる!

MENU

日焼け止め歴史市場シェア

2026年4月24日歴史・グラフ更新

太陽エネルギーは人間にとって不可欠のものだが、地表に届く紫外線は、ときに人間の皮膚に害を及ぼす。しかし、そのことが広く知られるようになったのは近年のこと。強過ぎる日差しさえ防げばいいと思われていた時代を経て、現在では無防備に紫外線を浴びてはいけないという風潮になっている。こうした風潮の変化にあわせて、日焼け止め市場はどのように変化してきたのか、そしてこれからどうなっていくのだろうか…。

※本文中の商品情報(特長・価格・キャッチコピーなど)は、発売当時の製品に関するものです。
本コンテンツは、制度品カウンセリング化粧品ブランドを除外して構成しています。

1980年代トレンドは「小麦肌」?

日本初の日焼け止めは大正時代

「色の白いは七難隠す」という言葉が象徴するように、日本人は古くから、白い肌に特別な価値を見出してきた。

そんな日本で、国内初の日焼け止めとして発売されたのは、1923年(大正12年)の「ウビオリン」(資生堂)だと言われている。当時は産業化と大正デモクラシーによる女性解放によって職業婦人が登場、化粧が身だしなみとして定着するほか、「はいからさん」「モガ(モダンガール)」と呼ばれた女性たちが闊歩した時代でもあり、ファッションや余暇を屋外で楽しむ女性が増えた時代でもあっただろう。

「小麦肌」が愛された時代

第二次世界大戦終結後は、アメリカのトレンドが流入するようになる。1960年代になると、バカンスで日焼けした肌がステータスとされ、日焼けした肌にあったポイントメイクが流行した。日本でも「小麦肌」がトレンドになり、資生堂やカネボウなどの化粧品メーカーも綺麗に日焼けしたモデルを用いた化粧品広告を展開。スキンケアカテゴリーでは美白成分が認可され、シミ対策として注目を集めていたものの、トレンドに敏感な若者たちの間では、日焼けを防ぐどころか、サンオイルなどでいかにきれいに肌を焼くかが関心の的となり、この流れは1980年代まで続いた。

SPFを明示した初の日焼け止めが誕生

しかし時代が進むにつれ、紫外線が肌へと及ぼす悪影響について専門家の間で知られるように。資生堂は紫外線のリスクを啓蒙すべく、1972年には国際シンポジウム「光と皮膚のセミナー」を開催。1980年に満を持して発売した日焼け止め「資生堂サンスクリーン」では、日本で初めて、SPF表示(紫外線B波カットの指標)を行った。

紫外線による肌への悪影響について、なかなか認知が進まない時代ではあったが、1985年、南極でフロンガスなどの影響によるオゾンホールが発見され、1988年にオゾン層保護法が成立。地球を覆っているオゾン層が破壊されると、地表に到達する紫外線量が増えることが知られるようになり、のちの研究では紫外線照射量の増加により皮膚がんの発症率も上昇することがわかった。

当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

© 2018 NetPILOTING Inc.