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日焼け止め歴史市場シェア

2026年4月24日歴史・グラフ更新

1990年代美白意識の高まりとSPF競争

美白トレンドとカテゴリーの活性化

専門家が紫外線の悪影響を憂慮するなか、小麦肌のトレンドは、ファッションや若者のカルチャーと密接に関わりながら1990年代まで続いた。よく焼けた肌に映えるカラフルなサーファーファッションが定着したほか、女子高生の間では、小麦色の肌に茶髪の巻き髪などの特徴をもつコギャルファッションがトレンドに。その後日焼けサロンで肌を極端に焼いた “ガングロ”スタイルまで登場した。しかし、バブル崩壊以降、こうした流れに変化の兆しが現れ始める。

1990年代の終わり頃、日焼けにこだわらないアーティストやアイドルが人気を集めるようになり、大人向けのメイクでもナチュラル志向がトレンドに。その結果、白くキメの整った素肌の美しさに関心が移っていき、同時期に、美白を訴求する美容家がメディアで活躍するようにもなった。

このように、人々の意識やトレンドに変化が起こり始めた1990年代は、さまざまなメーカーが日焼け止めを発売し、カテゴリーの活性化が始まった時代でもあった。

泡タイプ日焼け止め 「メンソレータム エクセプション」 (ロート製薬)

ロート製薬が1990年に上市した日焼け止め「メンソレータム エクセプション」は、クリームタイプのほかに、当時、世界でも珍しかった泡タイプをラインナップしていた。パチパチと泡がはじける爽快な使い心地で、日焼け止めの使用経験が少ない人が楽しく使えるようにし、まずは日焼け止めの使用を習慣づけてもらうことを目指したという。さらに1993年には「メンソレータム サンプレイ」を投入する。


いち早くデイリー需要を拓いた 「ニベアUVケアミルク/クリーム」 (ニベア花王)

ニベア花王「ニベアUVケアミルク/クリーム」が登場したのは1991年。当時、日焼け止めは“レジャーのときに塗るもの”という認識が主流だったが、ニベア花王は商品パッケージに「毎日の」と表記し、デイリー使用を喚起して使用機会の拡大を目指した。

1992年には、資生堂が「アネッサ」を投入。のちにメガブランドに育つ「アネッサ」は、レジャー向け商品として登場し、高い耐水性が売りだった。1994年にコーセーコスメポートが発売した「サンカット® スーパープロテクター」も、汗や水に強いウォータープルーフを採用していた。

エスカレートするSPF競争

1990年、日本化粧品工業連合会により日焼けを防ぐ効果の指標であるSPFの測定法が標準化されて以降、1990年代前半に続々と市場に投入された日焼け止めは、SPF10~20程度のものがほとんどだった。しかし、もっとしっかり日焼けを防ぎたいという生活者の声に応える形で、各メーカーともより高い数値のものを開発していく。1990年代後半には、SPF75、SPF97、SPF130といった、現在では信じられないような数値のものが続々と発売されていた。

一方で、当時の製剤技術では、SPF数値を高くしようとすると、とにかくUVカット剤をたくさん配合するしかなく、“塗り心地がきしむ”“肌が白くなる”といった弊害があった。そのため、SPF数値が高いものは使用感が悪いという印象が生活者に定着してしまった面がある。

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