1950年代~1960年代衛生害虫「ゴキブリ」の出現
都市の近代化によって一般家庭に定住

ゴキブリは、およそ三億年に出現した熱帯・亜熱帯を中心に生息する昆虫の一種で、古くは「あぶらむし(油虫)」、食事の器にかじりついている様子から「ごきかぶり(御器齧)」と呼ばれていたが、明治以降、誤植が元で「ごきかぶり」が転じて「ゴキブリ」と呼ばれるようになったとされる。
ゴキブリは本来暖かい場所を好むため、寒い場所では生きていけない。そのため、風通しの良い木造家屋が主だった戦前までは、一般家庭ではさほど目立つ存在ではなかったようだ。さらに、終戦直後は、衛生状態の悪化により、ノミやシラミ、蚊が媒介する感染症が流行したため、こうした害虫の駆除が喫緊の課題だった。GHQの指針をもとに国を挙げての衛生環境改善がなされ、有機塩素系殺虫剤DDTによる害虫駆除の徹底とゴミ処理施設や下水道の整備が奏功し、シラミや蚊、ハエによる健康被害は減少していった。それと入れ替わるようにして目立つようになったのが、ゴキブリだ。
戦後、家屋の焼失による住宅不足を解消するため、1950年頃から法整備が進み、木造家屋のほかにも、コンクリート製の住宅団地やマンションといった気密性の高い集合住宅が各地で建設された。人々が一年中快適に暮らせるようになった住居は、ゴキブリにとっても快適な住処となる。集合住宅に限らず、排水溝や換気口から一度入れば、暗く暖かい冷蔵庫やコンロのすき間、風呂場などに潜み、食べ残しや生ゴミで命をつなぎ、屋内で繁殖できるようになった結果、害虫として認識されるようになる。

戦後の復興が進むにつれ、多くの人々が日常的に悩まされるようになったゴキブリ。ゴキブリは、全身に雑菌が付着した状態で食器や食品に直接触れるため、さまざまな感染症を媒介するほか、皮膚に触れるとアレルギーの原因になることもある。何より、見た目や動きを不潔・不快に思う人も多い。その駆除をターゲットとした商品が1952年に登場する。日本初の家庭用蒸散殺虫剤として発売された「バルサン錠」(中外製薬)だ。有効成分は、当時害虫駆除に利用されていた有機塩素系のリンデンで、初期の「バルサン錠」は、錠剤をブリキ製のスプーンに乗せて、ロウソクの熱で薬剤を揮発させる使い方であったという。このほかバルサン錠をセットして白熱電球にかぶせることで、電球の余熱で薬剤を揮発できる「バルサンリング」といった商品も登場。その後、くん煙殺虫剤「バルサン香」が発売され、国内におけるくん煙剤の礎となった。なお、「バルサン」ブランドは、2004年中外製薬からライオンへ、2018年にはライオンからレックへと譲渡され、現在は虫よけ用品、防虫対策家庭用品を含む室内用・室外用の害虫対策商品を展開している。

「コックローチ粒」(大日本除虫菊)とバポナ殺虫プレート(アース製薬)
同じ頃、別の剤形のゴキブリ用殺虫剤も登場する。「殺虫剤(ハエ・蚊)」の稿でも紹介した、日本初の害虫用エアゾール「キンチョール」を開発した大日本除虫菊は、1955年に有効成分にリンデンを採用したゴキブリ用の誘引殺虫剤「コックローチ粒」を発売。夜行性で動きが俊敏なゴキブリを捕まえて駆除することが容易ではなかったことから、ゴキブリが現れそうな場所に置くだけで、匂いで誘引して喫食することで駆除できる殺虫剤として開発されたという。「コックローチ粒」はその手軽さが支持され、またたくまにヒット商品となった。
1969年には、当時のシェルケミカルズがジクロルボス(DDVP)を練りこんだ樹脂タイプの殺虫剤を「シェルトックス・バポナ殺虫プレート」として発売。ジクロルボスは有機リン系の殺虫剤として劇薬に指定されており、購入に際しては長らく譲受書が必要だった。2001年以降、「バポナ」ブランドはアース製薬に譲渡、2012年には劇薬指定が解除され、2025年の製造終了まで、第1類医薬品の「バポナ殺虫プレート」として販売されていた。
ゴキブリ用殺虫剤の歴史は、戦後日本の高度成長期に幕を開け、1950~60年代には、現在販売されている殺虫剤、くん煙剤の基礎となる商品が上市していたといえるだろう。



