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乳幼児用ミルク歴史市場シェア

2024年4月26日歴史・グラフ更新

大切な赤ちゃん(乳児)が健康に育つうえで重要な役割のある乳児用ミルク。消費者庁が乳児用ミルクに『母乳は赤ちゃんにとって最良の栄養です』という表示を義務づけているように、赤ちゃんにとって理想の栄養は母親からの母乳であるが、現実には母乳の不足、母親の健康や社会的理由などで、乳児用ミルクが必要とされている。このコンテンツでは、離乳後の幼児に向けたフォローアップミルクを含む乳幼児用ミルクの歴史について紐解いていく。

※本文中の企業名ならびに商品情報(特長・価格・キャッチコピーなど)は、発売当時のものです。「育児用粉ミルク」「育児用液体ミルク」を総称して「乳児用」としています。

~1960年代赤ちゃんに栄養を! 粉ミルクの誕生

加糖練乳から粉乳へ

江戸時代までは、乳児を育てる際に母乳が不足した場合、上層階級では乳母をつける風習などで補っていたが、一般庶民は、もらい乳や穀粉などを煮溶かした代用乳を与えることで対応していた。

明治時代に入ってからは、牛乳や加糖練乳が使われるようになり、主に加糖練乳を薄めて飲ませるのが主流となっていった。しかし、衛生面や希釈をめぐる問題もあり、乳児の死亡率も高かったといわれている。

和光堂 「キノミール」 (1917年)

大正時代になり、1915年ごろから乳児の栄養代謝についての研究が開始されると、1917年、和光堂(※)より国産初の育児用粉ミルク「キノミール」が発売され、その便利さから大変な反響を呼ぶ。「キノミール」は全粉乳をベースに滋養糖(麦芽糖とデキストリンを主成分としたもの)を添加したものだった。
※2017年7月にアサヒグループ食品(株)へ完全統合

森永乳業 「森永ドライミルク」 (1921年)
「森永ドライミルク」の新聞広告(1923年)

「キノミール」の発売から2~3年後、市場には、「おしどりコナミルク」(日本製乳)、「ラクトーゲン」(ネッスル)、「パトローゲン」(明治乳業)など、国内外から参入が相次ぐ。1921年には、森永乳業が日本初となる機械式製造による「森永ドライミルク」を発売する。国内市場で圧倒的にシェアを獲得していた「ラクトーゲン」に対し、各社で激しい競争を繰り広げるが、当時はまだ人工栄養の知識が乏しく、価格も高かったため、戦後まで乳児用ミルクが広く普及するには至らなかった。乳児用ミルクは高級品であり、当時は舶来品への信頼が根強かった。一方で国産品への品質へは懸念がもたれていたという。この両方を覆し、国産品を買ってもらうことが最大の課題だった。

戦時統制…調製粉乳の誕生

1940年になると戦時統制が強まり、牛乳・乳製品についても配給統制規則が定められ、育児用乳製品も配給制となった。当時は育児用乳製品の約70%は加糖練乳だったが、小児科学会より「加糖練乳は砂糖が多すぎて育児には好ましくない」との指摘があり、粉乳の検討が進められた。翌1941年、牛乳営業取締規則の改正が行われ、育児用粉ミルクは「調製粉乳」として、初めて規格が定められた。

戦後、アメリカの調製粉乳に関する情報をヒントに、各種ビタミンの総合強化が始まった。

1950年、粉乳の配給統制が解除されたあと、和光堂は「キノミール」にビタミン、鉄などを添加し、日本で最初に育児用粉乳に栄養補強を提唱した。

雪印乳業 「ビタミルク」 (1951年)

戦争が終わり、少しずつ物資が足りてきた時期である1951年、「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」が公布され、厚生大臣(現・厚生労働大臣)の許可を得て、調製粉乳に乳幼児に必要な栄養素を添加することが認められた。これにより、ビタミンを強化したり、牛乳たんぱく質の消化を良くしたりした(ソフトカード化)製品が発売されることとなる。主な商品は、国産初の完全栄養食をうたった「森永ビタミン入りドライミルク」(森永乳業)、日本で初めてたんぱく質の加熱処理によってソフトカード化した「ソフトカード明治コナミルク」(明治乳業)、「ビタミルク」(雪印乳業)などである。このころの調製粉乳は、全脂粉乳70%に砂糖などを添加したものが主流だった。

森永乳業 「森永βドライミルク」の 宣伝ポスター(1953年)

1953年には、森永乳業が、β型の乳糖を配合した「森永βドライミルク」、1960年に腸内ビフィズス菌の増殖促進効果をもつラクチュロースを配合した「森永Gドライミルク」を立て続けに発売する。製品名中の「G」とは、牛乳から取り出した乳糖の特殊操作により生成される分解物、ガラクトース(Galactose)、ラクトース(Lactose)、ラクチュロース(Lactulose)の3種の糖分(G.L.L.)のうち、ガラクトースの頭文字を取ったもの。従来のβ乳糖の一部をG.L.L.に置き換えたのが「森永Gドライミルク」であった。

雪印乳業は1960年に、日本初の全国規模での母乳調査となる、「第1回全国母乳調査」を実施し、619名の母乳成分を分析。その成果を生かした、たんぱく質、ミネラル、ビタミンを調製した商品の開発を進めていった。

日本ワイス (アイクレオ株式会社に変更後、 現在は江崎グリコの一部門) 「SMAミルク」 (1962年)

1962年、“科学的に母乳の組成に近づけた”という意味のSMAという名を冠した「SMAミルク」を日本ワイス(アイクレオ株式会社に変更後、現在は江崎グリコの一部門)が発売。母乳に匹敵する成分で、便秘をしにくい、丈夫に元気に育つ、と評判となる。発売当初は医療関係者が使うミルクとして広まり、そこから一般にも徐々に伝わっていったという。なお、粉ミルクの作り方、与え方についてスライドを使って教える調乳指導が始まったのもこの頃と言われている。

1963年、森永乳業は「ダブルG森永ドライミルク」を発売。牛乳を脂肪、たんぱく質、乳糖、ミネラルの給源として扱い、これと母乳とを比較して不足を補い、過剰は除くという初の試みがなされた画期的な商品だった。なお、粉ミルク消費量の増加に伴い、大型缶を希望する傾向があることに目を付け、500g缶、1500g缶の大容量化も図った。

1966年には、明治乳業が穀粉を入れる必要なく、お湯に溶かすだけという、日本初の単一調乳粉ミルク「ソフトカード明治コナミルクFM」を発売する。今日では当たり前のことだが、それまではミルクを溶かすときには、別途でんぷん分解質や、穀類の粉末あるいは砂糖などの添加糖質を加え、月齢に応じて次第に濃度をあげて行く方式だった。
同年、雪印乳業は、母乳調査の結果を生かし「ネオミルクP7」を発売。

日本ワイス (アイクレオ株式会社に変更後、現在は江崎グリコの一部門) 「SMA S-26ミルク」 (1962年発売、画像は1973年の改良版のもの)

翌1967年、日本ワイス(アイクレオ株式会社に変更後、現在は江崎グリコの一部門)は、日本で初めてたんぱく質を母乳たんぱく質により近づけ、ナトリウム量も母乳と同じにした「SMA S-26ミルク」を発売する。

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