紀元前~大正時代古から続く胃腸の悩み

身近な食べ物や植物で胃腸をケア
古代ギリシャ時代、地中海沿岸に自生するコショウボクという木からとった樹液「マスティック」は、胃痛や消化不良などの胃腸障害を鎮める成分として知られていて、樹液を固めてガムのように噛んでいたそうで、人類はその頃から胃腸の悩みを抱えていたことがうかがえます。
また、古代ギリシャの医学者ヒポクラテスの医学書には、健胃薬や気付け薬としてミントが登場し、ハッカは古くから利用されてきたハーブであることがわかっています。同じハーブでは、フェンネル(ウイキョウ)が古代ローマなどでも栽培されていたという記録もあり、古代ローマの戦士たちは、薬草のフェンネルを携帯して、胃を守りながら戦地に赴いたと言われています。
ほかに、古代エジプトでは、ビールが薬の素材として使用され、クミンシードやコリアンダーなどをまぜて、胃腸薬や鎮痛剤などが作られていたり、古代ローマ時代には、レタスにハチミツやショウガなどのスパイスをすりつぶしたものを合わせて、消化不良や胃の炎症を抑えていたりしたとのこと。
一方、中国では、紀元前から薬草の研究が盛んで、胃痛など、さまざまな症状の治療に薬草が用いられていました。
古代の人々は、祖先からの経験などから、身近な食べ物や植物を胃腸薬として使用してきたようです。
ロングセラーの登場
日本では、江戸時代頃までは、各地でさまざまな民間薬が誕生し、広く用いられていたようです。そのなかには、オウバクやガジュツなどを含み、飛鳥時代から伝わるとされる陀羅尼助丸(だらにすけがん)や、子どもの「かんのむし」や胃腸症状を改善する「宇津救命丸」(宇津救命丸)など、現在でも販売されているものもあります。
なかでも、現代の胃腸薬のはじまりと言えそうなのが、1879年(明治12年)に発売され、150年近くロングセラーとなっている「太田胃散」(太田胃散)です。太田胃散創業者の太田信義は元来胃弱のため常に胃薬を持ち歩いていました。そんななか、医師の緒方拙斉に処方された薬が効果てきめん。この薬を譲り受けて販売することとなったのが「太田胃散」です(当時は、「雪湖堂の胃散」という名称)。この処方の元となったのは、1862年(文久2年)に来日したオランダ人医師、ボードウィンによるもので、英国処方でした。

発売当時のパッケージ&看板&店舗外観
その後、1894年(明治27年)には、科学者・高峰譲吉が麹菌から消化酵素タカヂアスターゼを発見し、消化酵素剤「タカヂアスターゼ」(三共商店・現第一三共ヘルスケア)を1899年(明治32年)に発売します。胃腸のはたらきを助けて、消化不良を改善してくれるこの薬は、その効き目から、日本だけではなく、世界中でも大評判となりました。
そのころ、ロート製薬の創業者・山田安民は、東洋西洋問わず、胃病で早死にする人が多いこと、日本でも食生活の変化から年々胃病患者がおびただしく増えていることなどに着目し、「万病の元は胃にある」と確信。効き目のある胃腸薬の販売計画を検討します。その後、1899年(明治32年)に発売された「胃活」(山田安民薬房・現ロート製薬)は大きな注目を集めます。

発売当時の商品画像&ポスター、なかなかのインパクト
明治から大正にかけては、現存する医薬品メーカーが多く創業し、庶民にとっても薬が手に入りやすくなる一方、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦といった戦争に翻弄された時代でもありました。胃腸薬も例外ではなく、戦争が起こるたび、統制が敷かれ輸入原料や関連資材の入手が困難になるといった事態に見舞われます。
こうした影響は庶民の食生活にも及びます。大正時代の関東大震災以降、都市部で洋食店が開業したことをきっかけに外食の習慣が生まれ、家庭料理にも洋食が登場するようになりましたが、度重なる戦争によって庶民の食卓にも影が落ち、現在のような「食べ過ぎ・飲みすぎ」といった悩みを抱える状況にはなかったようです。



