ペットフードの歴史と市場シェア
2023年4月28日グラフ更新
ペットの飼育頭数の増加に伴って成長を続けてきたペットフード(*)市場。ペットフード協会の調べによると、近年、飼育頭数については、犬は減少傾向(890万3千頭:2018年12月現在)、猫は横ばい傾向(964万9千頭:2018年12月現在)となってきているが、依然としてペットフード市場全体としては伸長傾向にある。今や家族の一員として定着したペットたちに、なくてはならないペットフードの歴史について紐解いていく。
*本稿では、犬用フード、猫用フードの総称。
※本文中の商品情報(特長・価格・キャッチコピーなど)は、発売当時の製品に関するものです。
1960年代~1970年代国産ドッグフード第一号は・・・ご存知あの商品!
愛犬の栄養食
ペット先進国のアメリカでは、20世紀初めにドッグフードが商品化され、1960年代ではすでに大きな市場ができていた。一方、日本では、番犬として犬を飼っていた時代で、一般家庭では犬専用の食事を与えるという発想自体がなかった。犬の食べ物といったら、人間の残り物を食べさせることがほとんどで、一部の裕福な家庭でのみしか輸入品のドッグフードは使われていなかった。

そんななか、国産のドッグフード第一号が1960年に協同飼料(現・フィード・ワン)から発売される。あのペロッと舌を出したチャーミングなパッケージで有名な「ビタワン」である。発売当初は粉末タイプで、一袋(1kg)100円。これは同じ1kgのお米よりも高価であったため伸び悩んだが、ビスケットタイプ、さらにご飯に混ぜて与えるペレット(小粒の固まり)タイプを立て続けに開発したことで高い評価を受け、売上げを伸ばしていく。ちなみに、「ビタワン」の由来は、ビタミン、バイタル、ワンワン、ナンバーワン、等を合わせたもので、当時の社長が名付け親だったという。

ようやく軌道に・・・と思われたが、この時代、ドッグフードそのものに対する認知度がまだまだ低かった。そのため、販路を広げるべく新聞広告や電車の中吊り広告、TVCMなど幅広く展開する。
1964年には、協同飼料から独立して日本ペットフードを設立。ペットフード専用工場も完成し、さらなる飛躍を図っていく。当時は東海道新幹線の開通や東京オリンピック特需などによる好景気で、日本国内が明るく沸き立っていた。

人々の生活の向上に伴い、犬の飼育頭数は約400万頭とも推定されるほどに。大量の広告、熱心な販路開拓によって、「ビタワン」、そしてドッグフードの認知度は徐々に上がり、1960年代半ば以降は流通量を大きく伸ばしていく。
ライバルは海の向こう
このビッグウェーブに乗るべく、ドッグフード事業に着手する企業も増えてくるなか、海外で大きなシェアを持つドッグフードが次々と輸入販売される。関税により「ビタワン」よりも高価だったが、種類の多さやそのパッケージの華やかさが店頭映えしていた。さらに、輸入業者はスーパーなどの販路を持っており、国産製品以上の勢いがあった。1970年代半ば以降は、「ビタワン」もスーパーに進出し、競争はますます激化。輸入ドッグフードに対して、国産「ビタワン」の孤軍奮闘といった構図が続いていく。

こうした競争の中、国産ドッグフードは、ウェットやソフトドライなどのタイプ別、犬種別などの多様化が進んでいった。
キャットフードの登場
一方、キャットフードはというと・・・1969年、日本初となる缶詰タイプのキャットフード「プリンス」が三洋食品より発売される。こちらも犬同様、猫の食事と言ったら“猫まんま”が主流の時代で、キャットフードは一部の限られたブリーダーや獣医師にしか出回っていなかったという。

日本ペットフードも翌年、マグロやカツオの血合い部分を缶詰にした「ミミー」を発売。同時期、国内の新規参入も相次いだため、同社は当時2億円の広告費を使い、宣伝にも力を注いだ。当時、日本ペットフードがトップ企業として君臨していたが、ドライフードに関しては、1972年に日本初のドライタイプキャットフード「キャネットチップ」がペットラインから発売され、先制攻撃を受けることに。同年、日本ペットフードも「ミミードライ」を発売し追撃。当時の市場は、4分の3が缶詰、残りがドライ、という状況ながらも、素材別で赤、青、緑のパッケージをラインナップし差別化を図り、ヒットを記録する。




