戦後~1970年代防虫剤&除湿剤市場の幕開け
日本独自の文化「衣替え」

世界一の防虫大国と言われるほど、日本の防虫剤市場が成熟してきたのには、「衣替え」という日本独自の文化が関係しているからである。衣替えは平安時代以降、宮中で定着したとされる。とくに夏の衣替えは、俳句の季語になっているほどだが、現在でも6月1日になると、中学校や高校では夏服に衣替えを行っているところが多い。なお、戦前は軍人や警察官も学生といっしょに衣替えをしていた。

日本の防虫剤市場は、戦後の化学工業の目覚ましい発展とともに、ナフタリンやしょうのうを忌避成分とした防虫剤が発売されたのが幕開けだった。そんななか、1953年にエステー化学(現・エステー)は、ナフタリンの400倍の効果を謳ったパラジクロルベンゼン製剤「水晶脳」を発売。創業者の母親が疎開先から戻ってきたとき、大切な着物が虫に食われていて、とてもかわいそうに感じ、「なんとかしたい!」という思いから生まれた商品だという。1955年には、薬剤を穴あきブリキ缶に入れ、揮散させる洋服ダンス用の缶入りタイプを発売。

さらに、1973年には、のちの「ネオパラコーナー」の原形となるプラスチックケースに入ったコーナータイプの和ダンス用防虫剤「水晶脳D」を発売する。ちなみに「水晶脳」は、水晶のように清らかであり、販売する防虫剤は純度の高い薬剤であるという意味から命名されたという。

そして1976年、エステー化学(現・エステー)は画期的な商品を発売する。これまでの防虫剤は使用前に袋を切っていたが、和ダンス用「ネオパラコーナー」は、切らずに使える和紙防虫剤の第一号として発売され、瞬く間に一世を風靡した。1978年には、洋服ダンス用ナフタリン製防虫剤「ネオパース」を発売。場所をとらない薄型タイプという切り口でこちらも大ヒットを記録。翌1979年、立て続けに和ダンス用2錠タイプ「ネオパラエース」を発売し、防虫剤シェア1位をエステー化学は勝ち取ることとなる。
高温多湿な日本の風土に根付く

住居空間の湿気を取り除く除湿剤の市場は、1979年にタマオキが発売した「サンドライ」からスタートする。高温多湿な日本の風土にしっかりと根付き、今や110億円近い市場になるまで成長した除湿剤市場。発売当初の除湿剤は使い捨てタイプが主流だった。なお、現在上位にある除湿剤ブランドの多くは1980年代に登場することとなる。



