~1980年代介護栄養補助食品のはじまり

安全に食べ、栄養補給し、食べる楽しみを
介護栄養補助食品のルーツは、戦時中に負傷して腕を動かせなかったり、顔を包帯で覆ったりした人に、噛まなくても食べられるような流動食が病院で提供されたのが始まりだという。当時の介護食は、見た目や食べやすさなどへの配慮はあまり関係なく、栄養面が重視されただけのものだった。
その後、1980年代まで、介護食にこれといった変化はなく、個々のケースに合わせたミキサー食やきざみ食などの介護用加工食品が作られていた程度である。しかし、1983年、神奈川県の高齢者福祉施設で、嚥下障害がある入所者が安全に食べられて、栄養補給でき、食べる楽しみを取り戻せるよう、研究開発がスタート。これをきっかけに「介護食」という言葉が誕生した(当初は「救命食」とも呼ばれていた)。
一方、こうした介護食には大きな問題があった。それは、老化や障害により嚥下機能が低下したことで誤嚥をし、ときに亡くなってしまうケースもみられたことだ。
高齢者に安全に食事を摂ってもらうために、何かできることはないかと考えた結果、着目したのが唾液だった。普段食事のときにせき込むことが多い人でも、自分の唾液はむせることなく飲み込むことができる。そこから、唾液の性状を研究し、その性質を食品開発に生かすという挑戦が始まった。
1985年、介護食第一号として開発されたのが「救命プリン」。高栄養なミルクをゼラチンで固めたもので、柔らかさや滑らかさなど安全に美味しく食べてもらうために、多くの工夫がされた。実際にこのプリンを食べた人のなかには、体調が安定し、寝たきりから座位が取れるまでになった人もいたという。このことから、口から食べることの大切さが見直され、これまで口から食べることを諦めていた人にとって、介護食がひとつの希望となった。
命を救った流動食
1980年代、明治乳業(現・明治)は、「YH-80」という流動食を発売する(Yはヨーグルト、Hはハニーの略)。この商品開発のきっかけは、ある男の子が全身にやけどを負い、病院へ運ばれた際、医師がおなかに優しくて栄養豊富なヨーグルトで、この男の子を救えないか、と問い合わせをしてきたことだったという。栄養豊富なヨーグルトと高カロリーのハチミツを投与することで、男の子は一命を取り留めた。その後、臨床現場での使用頻度と評価を高め、「YH-80」の商品化に至った。



