1980年代~1990年代細分化により市場は拡大! ところが…
セグメント化が進み、ますます普及
好景気に支えられ、さまざまなものが多様化した1980年代。目薬も対象者・症状を明確にして細分化し、ますます生活者の間に浸透していった。

コンタクトレンズの普及とともに、目の乾きや疲れを訴える生活者が増えてきたことから、千寿製薬は1980年に、日本初の<コンタクト>レンズ専用目薬「マイティアCL」を発売。
♪ソフトでも、ハードでも、コンタクトレンズを付けたまま
のCMソングで、ユーザーの間に一気に広まった。

また、1960年代に目薬を愛用していた若者は40代となり、年齢からくる新たな目の悩みを抱えていた。そこで参天製薬は1985年、40代からの目のかすみに着目した「サンテ40NE」を上市。
離せばわかる…青春後期。
のキャッチコピーで大ブレイクし、<中高年向け>市場を開拓した。

さらにこの頃、戦後に植林したスギなどの花粉による、目のかゆみといったアレルギー症状が盛んに取り上げられるようになる。これを受けてロート製薬は、1987年に初の<アレルギー>症状対策目薬、「ロート点眼薬アルガード」を発売する。

なお、バブル絶頂期の若者は、ドライブ、喫煙、ディスコでオールナイト…と、目を酷使する日々を過ごしていたが、目薬の使用率は低かった。そこで、ロート製薬は1987年、強烈な清涼感と、持ち歩きたくなるスクエアボトルを採用した「ロートジー」を発売。おしゃれな若者のあいだで大ブレイクし、<若者向け>目薬というジャンルを作り出した。

そのほか、話題となったのが、1988年にファイザー製薬が発売した<充血>対策目薬の「バイシン」である。血管収縮成分・塩酸テトラヒドロゾリンの単味剤で、「白目の充血をクリアにするため、モデルが撮影前に使っている」という口コミで、女性の間で大ブームとなった。
目薬業界「暗黒時代」の始まり

バブルの残り香が漂う1990年代前半。<男性向け>の「ロートジー」が好調だったロート製薬が、若い<女性向け>に開発したのが、1994年の「ロートジーリセ」。校則で化粧が禁止されているなか、「学校に持って行ける唯一のおしゃれグッズ」として、女子中高生の圧倒的な支持を得た。

1995年には小林製薬が、コンタクトレンズを外したあとの目を洗い流す「アイボン」を発売。洗眼薬はそれ以前も他メーカーから発売されていたが、コンタクトレンズユーザーにターゲットを絞った提案により大ブレイク。<洗眼薬>ジャンルのパイオニアとなった。
こうして目薬の使用率はますます高まっていったが、1990年代後半になると、集客用の特売品として、目薬を極端に値引き販売するケースが現れはじめる。場合によっては1円で売られることもあったという、目薬業界にとっての「暗黒時代」の始まりである。