1965~1980年ピンチをチャンスに! かぜ薬の大変革時代
「アンプル入りかぜ薬」が販売停止に

1900年代の半ばまでは、「アンプル入りかぜ薬」が各社から発売されていた。高度経済成長期に入り、かぜをひいても会社を休めずがんばらなければならない、そうした風潮もあり、すぐ飲めて即効性があるなどの理由で需要も高かった。しかし、状況が一変する事件が起きる。それが「アンプル入りかぜ薬」服用によるショック死事件だ。
「アンプル入りかぜ薬」には、解熱剤としてピリン系成分(アミノピリンやスルピリンなど)が含まれていたために、そのアレルギーによるショック症状で死亡したのではないかと推察される事例が発生した。アンプルという飲みやすく、即効性が期待された剤形だったため、かぜ患者による過剰服用が大きく影響したのではないかとされた。1959年から1965年までに38人の死者を出したことから、厚生省(当時)は、1965年に製薬企業に発売停止や回収などを指示した。

そんな1965年、大正製薬からピリン系「パブロンゴールド」と、非ピリン系の「新パブロン」が登場する。もちろん、これらはアンプル剤ではなく、錠剤やカプセル剤の商品だった。アンプル入りが回収になったとはいえ、まだこの頃のかぜ薬はピリン系成分が主流だった。しかし、ピリン過敏体質の人のことも考慮し、パブロンブランドでも非ピリン系の商品「新パブロン」を開発したということだ。「新」と名付けられたことからも、「新機軸の商品」を目指していたことがうかがえる。

同じく1965年、エスエス製薬からも「エスタックエース錠」「エスタックW」 という非ピリン系かぜ薬が登場する。「エスタックエース錠」は1日3回タイプの錠剤、「エスタックW」は1日2回の持続性カプセルだった。
製造販売承認基準からピリン系薬剤が一時除外に

1977年には、さらに大きな転機が訪れる。この年、かぜ薬の製造販売承認基準から、90年にわたり主流だったピリン系薬剤がついに除外されることとなった。製薬メーカー各社も対応に追われることとなり、大正製薬は同年発売の「パブロン<顆粒>」以降は非ピリン系に一本化。同品では、それまで使われていたスルピリンに代わり、アセトアミノフェンが主薬となっている。
また、それまで販売されていた商品においても、当然変更を余儀なくされるものがあった。佐藤製薬の「学童用ストナ」(1972年発売)は、発売当初はスルピリン配合の商品だったが、のちにこれを抜き、アセトアミノフェン+エテンザミド処方へと変更している。
その後1979年には、武田薬品工業からアセトアミノフェン配合の「ベンザエースカプセル」が、佐藤製薬からは、生薬の地竜を配合した「ストナエース」が登場。11歳から使用できる「ストナエース」は、カフェイン、エフェドリン非配合で高齢者にも使え、幅広い人におすすめできる商品だった。
こうして、かぜ薬の主成分としてアミノピリンやスルピリンなどのピリン系はいったんなくなったが、より安全性の高いピリン系成分として、2015年の改定によりイソプロピルアンチピリンが製造販売承認基準に収載され、アセトアミノフェンなどとともに使用されている。