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ヒゲソリ・カミソリ歴史市場シェア

2025年11月28日歴史・グラフ更新

1900年~自由化により市場拡大

海外からの圧力で

貝印の代名詞、使い捨てのT字カミソリ「貝印T型ゴールド」

明治の後期になると、海外から安全カミソリが輸入され、一般の生活者も気軽に自分でひげを剃れるようになった。その当時、岐阜県関市で刀鍛冶の伝統を生かしてポケットナイフを製造し、成功を収めていたのが現在の貝印だ。初代社長である遠藤斉治朗は、次の商品として、東京や大阪などで飛ぶように売れていたこの安全カミソリに目をつける。その使い勝手の良さから人気だった安全カミソリだが、当時の日本では輸入に頼らざるを得なかった。そこで、国産の商品を開発すべく、1932年に安全カミソリを製造する会社「関安全剃刃製造合資会社」を設立し、替え刃製造を開始した。

こうして国産カミソリもシェアを伸ばし、多くの人の手に取られるようになると、戦後の経済復興により、1900年代の半ばには、国産の安全カミソリ全盛の時代を迎える。しかし、こうした状況も長くは続かなかった。海外からの圧力により、1960年にはホルダーが、1962年には替え刃が輸入自由化となった結果、シック、ジレットなどの海外メーカーが日本市場にやってくることになる。

このとき、家庭用の刃物の卸業を営んでいた竹内金蔵は、両刃のカミソリが主流だった時代に、刃だけが差し代わるインジェクタータイプの片刃カミソリ、シックの「インジェクター」に魅力を感じ、大量に輸入したという。これが奏功し、竹内は成功を収める。世界的には2位のシックブランドだが、その後も日本国内での販売に注力した結果、現在でも国内シェア1位となっている。これは世界的に見ても珍しいことだという(世界では「ジレット」ブランドが1位、「シック」ブランドが2位となっている)。

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