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衣料用洗剤歴史市場シェア

2024年7月26日歴史・グラフ更新

1970年代酵素配合、無リン化の流れ

合成洗剤が洗浄力を追求し、酵素入り洗剤が増加。一方で、リン酸塩による湖や沼の水質問題が起こり、社会問題となり、生活者の無リン洗剤を求める声があがる。また、1973年の石油ショックにより、店頭からは買い占めの影響で洗剤などの品切れが続出。洗濯へのモラルが問われる時代だった。

酵素入り洗剤の安全性を問題視する声が・・・

1960年代以降、海外ではタンパク質汚れなどを落としやすいことから、合成洗剤に酵素を配合する流れが主流となり、酵素配合洗剤が50%近くのシェアを占めていた。遅れること数年、日本では花王が独自で開発した酵素入りの合成洗剤「スーパーザブコーソ」(1970年)を発売する。順調な滑り出しだったが、翌年、欧米で酵素の洗浄効果や安定性を疑問視される声があがり、これにより、日本でも各社が自主規制により酵素配合洗剤の販売を中止が相次ぐ事態となった。

その後、酵素の人体への影響に関して安全性には問題がないと報告される。1976年に酵素洗剤の安全性が完全に確認されたことにより、各社から酵素配合洗剤が再び販売された。

市場にはじめて受け入れられた酵素配合洗剤!

ライオン「酵素パワーのトップ」(1979年発売)の広告画像

そんななか、ライオンは世界に先駆けて生分解性の高い界面活性剤のAOS(アルファオレフィスルフォネート)を開発。アルカラーゼ酵素との相性が格段に高く、相乗効果で洗浄力を高められることを見出し、発売したのが「酵素パワーのトップ」(1979年)である。“常に最高の洗浄力を”との想いから、「トップ」と名付け、従来品とは違う赤いパッケージ(これまでは青系)を採用、画期的な洗剤であることを強くアピールした。また、当時では画期的な発売前のティザー広告も多数展開、その結果、発売後の翌年には単独で16%のナンバーワンシェアを獲得することになる。

「無リンは不可能」と言われていたが・・・

富栄養化イメージ

1970年代の別のトピックとして、合成洗剤に多用されていたリン酸塩が、琵琶湖などの富栄養化(※)を招いていると問題視される。同時に合成洗剤自体に対するイメージも悪化。環境への影響に配慮すべく、洗剤の洗浄助剤であるリン分を低減することに、洗剤業界全体で取り組んでいく。そんななか、ライオンは、日本初の無リン洗剤である「せせらぎ」を1973年に発売。しかし、洗浄力こそ高かったが、リン代替品(クエン酸)が高価であったことや、固まりやすさや溶け残りが課題に。また、石油ショックの余波により販売が中止となってしまう。

※家庭排水などに含まれているリン分が湖沼に流入し、それが栄養分となって水中のプランクトンや藻が異常繁殖し、臭気を発生し始める。やがて藻が枯れて腐るときに、水中の酸素を消費するために水が腐敗し、水生生物に影響を与えて、湖沼が老化する現象。

無りんトップ商品画像
ライオン 「無りんトップ」 (1980年発売)

業界他社が「無リン化は不可能・・・」と口々に言うなかで、無リン化の研究をあきらめなかったライオン。生分解性の良い独自の界面活性剤AOS、タンパク質を分解するアルカラーゼ酵素、リン分にかわる洗浄促進剤のゼオライトの組み合わせにより、従来の有リン洗剤よりも優れた性能をもつ無リン洗剤「無りんトップ」(1980年)を発売する。これは当時業界を震撼させた革新的な商品だった。

第三の勢力、襲来

1970年代にあったもう一つの大きな動きと言えば、洗濯用粉末洗剤「全温度チアー」(1973年発売)を引っ提げたP&Gの日本市場参入。これまでは、木綿のシャツを白く洗いあげたいときはお湯を、縮みや色あせが気になる衣類などはぬるま湯や水を、といった繊維の種類や洗濯のニーズによって分け洗いをする必要があった。しかし、「全温度チアー」は、その名の通り、どんな温度の洗濯水でも優れた洗浄力を発揮するのが最大の特長。素材や形状の違う洗濯物をいっしょに洗濯してもキレイに洗い上がるという利便性をアピールし、ヒット商品となる。

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