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殺虫剤(ハエ・カ)歴史市場シェア

2023年7月28日グラフ更新

害虫を退治する殺虫剤。その始まりはやはり人間に身近な「ハエ」「カ」への対応だった。とくに、カ対策の商品開発が、以後の害虫対策商品に大きな影響を与えている。ここでは、そんな「ハエ」「カ」商品の歴史についてご紹介したい。

※本文中の商品情報(特長・価格・キャッチコピーなど)は、発売当時の製品に関するものです。

1880年代~1900年代すべてのはじまりは「蚊取り線香」

けむい「蚊遣火(かやりび)」から線香へ

除虫菊と蚊取り線香のイメージ

殺虫剤ができるまで、日本ではヨモギの葉などを燃やし、虫除けをしていた。これは平安時代から大正初期まで行われていた「蚊遣火(かやりび)」と呼ばれる方法で、ヨモギの葉やカヤの木などを燃やし、燻した煙でカなどの虫を追い払うというものだった。しかし、当然ながら煙で涙が出たり、のどを痛めたりするなど、虫だけでなく人間にとっても苦しい方法だった。

そこで、注目されることになるのが「除虫菊(シロバナムシヨケギクなど)」だ。除虫菊は殺虫成分を含み、18世紀のヨーロッパではその粉末がノミ取り粉として利用されていた。そのノミ取り粉は日本にも輸入され、使われていたという。

大日本除虫菊 「金鳥香」 (1890年発売) ※ 写真は1911年のもの

その除虫菊を日本に広めたのが、上山商店(現:大日本除虫菊)の創業者である上山(うえやま)英一郎だ。上山は、福沢諭吉の紹介でアメリカの植物会社社長H.E.アモアと出会う。もともとみかん農園を営んでいた上山は1886年、みかん苗との交換でアモアから除虫菊の種子をもらった。この除虫菊がノミ取り粉の原料だとわかり、「ノミに効くならカにも効くのでは?」と考え、カ対策にも応用できないかと工夫を重ねたという。種子の粉末から線香になったきっかけは、1888年に上山が東京に滞在していたときのこと。同宿となった線香屋からヒントを得て粉末を線香に練り込むことを思いつき、研究を重ねて1890年に「金鳥香」として商品化する。蚊取り線香の誕生だ。

渦巻き型の功労者はゆき夫人

発売された世界初の蚊取り線香は、現在のような渦巻き型ではなく、「線香」の名が示すとおり、仏壇に供えるものと同じ棒状のものだった。1本20cmほどの線香では約40分しかもたないため、それでは一晩もたないということでさらに試行錯誤することになる。

大日本除虫菊 「金鳥の渦巻」 (1902年発売)

この線香が現在のような渦巻き型になったのは、上山の妻ゆきのアイデアからだった。きっかけは、ゆき夫人が倉の中でとぐろを巻くヘビを見たことだ。長くするのに限界がある棒状を渦巻き型にすることで、全体の大きさをコンパクトにしつつ燃焼時間を長くすることができる。これにより、最終的に7時間ももつようになった。しかし、そこに行き着くまでは簡単ではなかった。まず、どのように渦巻きにすればいいのかを検討するだけでも時間がかかったが、さらに乾燥の工程も難しかった。線香がくっつきやすかったためだ。ここでもゆき夫人から「金網の上で乾かしてはどうか」というアイデアが出され、着想から7年後の1902年、ついに渦巻き型蚊取り線香「金鳥の渦巻」が発売された。日本で発明されたこの蚊取り線香は、現在は海外でも「Mosquito coil」の名で知られ、世界のさまざまな地域で使われている。
なお、1993年にはハエにも対応した「ハエとり線香」(大日本除虫菊)が発売されている。

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