1900年代~1950年代日本のヘアカラー黎明期
からすの濡れ羽のような黒髪美人に

日本では1905年に最初の酸化染毛剤「志ら毛染君が代」(君が代山吉商店)が発売された。これは、タンニン酸と鉄を用いた「お歯黒式(媒染染毛法)」の染毛剤だ。その後、さらに進化した白髪染めとして、新しい染料・パラフェニレンジアミンを使った商品が登場する。1907年発売の「千代ぬれ羽」は、パラフェニレンジアミンの溶液を髪に塗り、空気酸化によって髪を染める酸化染毛剤だった。
続いて、1911年、パラフェニレンジアミンを過酸化水素で酸化させることで、さらに短時間で染めることができるようになった「るり羽」が山発商店(現:ヘンケルジャパン)から発売された。

一方1909年、「水野甘苦堂」は、先の「千代ぬれ羽」にヒントを得たとされる「二羽からす」を発売。その後1916年には、パラフェニレンジアミン溶液の1液瓶に酸化剤として過酸化水素水の2液瓶を添えた酸化染毛剤「三羽からす」を発売した。これは現在の染毛剤と同じ1剤、2剤を混合して染毛するものだが、このことによって、染め上がりの時間が20~30分へと一気に短縮された。さらに同社は1921年、粉末の糊剤をお湯で溶き、冷めたら過酸化水素水と混ぜて髪に塗る「元禄」を発売。他の染毛剤が80銭前後の時代に25銭で販売され、大変な人気を呼び、大正・昭和・平成と72年に渡るロングセラー商品となった。ちなみに、この水野甘苦堂が、現在に至るまでヘアカラー市場を盛り上げ続けているホーユーである。
「からすの濡れ羽色」を意識した商品名が多いことからもわかるように、この時代の染毛剤はいかに黒く髪の毛を染め上げるかが重要。つまり、当時のヘアカラーは黒髪美人になるためのアイテムだったのだ。