1990年代~2000年代「嗜好品」から「生活必需品」を目指して
「スキンケア入浴剤」市場を創出


好景気のなか拡大を続ける入浴剤市場は、1990年代初頭に約650億円規模に到達する。そんな1992年、花王(1985年に花王石鹸から社名を変更)は、液体タイプの乾燥肌用入浴剤「薬用バスエッセンス エモリカ」を発売する。細胞間脂質類似物質<リピッドCS>の配合や、浴槽に注いだとたん白濁する「自己乳化技術」の採用など、同社の化粧品・スキンケア製品研究の粋を集めた入浴剤は、乾燥肌で悩む人たちに絶賛され、スキンケア入浴剤という新たな市場を確立。1998年には、ツムラ(1988年に津村順天堂から社名を変更)からもスキンケア入浴液「バスクリン ソフレ」が発売され、液体入浴剤市場が活性化された。
主力ブランドの機能向上&細分化へ

やがてバブル経済が崩壊すると、入浴剤市場は徐々に縮小を始める。極論を言えば、入浴剤がなくてもお風呂には入れる。日々の暮らしに不安を抱えた生活者は、入浴剤をコストカットの対象と見なしたのだ。そこで各社は、入浴剤を「嗜好品」から「生活必需品」へとランクアップするための模索を始める。
花王は、「バブ」のもつ効果感にこだわり、機能性をより高めることに注力する。錠剤の形状変更による発泡力アップや、香りの持続性アップを図ったほか、「バブ」のバリエーションモデルとして、独自開発した血行促進成分<オクチルフタリド>配合タイプや、<イチョウ緑葉エキス>配合タイプ、クールタイプなど、次々と新商品を送り出した。
同じくツムラも、1999年に「バスクリン」シリーズを一新。成分を全面改良したほか、約30年続いたスパイラル缶の容器を変更。人間工学に基づいた持ちやすい形状とし、容器の素材を金属やプラスチックではなく、地球環境にやさしい古紙使用の紙容器へと変更し、ゴミ分別もしやすくするなど、ユーザー目線に立ったリニューアルを行った。また、「バスクリン」のサブシリーズも、この時期大幅にラインナップを増やしている。

その一方でツムラは、約100年前に発売した「浴剤中将湯」と同様、「貴重な生薬を刻んだだけの入浴剤」を蘇らせる、という企画を立案。異物混入や使用期限といった現代の厳しい基準を、医薬品メーカーならではの高い品質管理でクリアし、「中将姫の湯」(1997年)を発売する。結果、1回の入浴コストが約450円という高級入浴剤となったが、その高い技術力は話題となった。
バラエティ系、アミューズ系の躍進

景気の低迷が続く2000年代、携帯電話でのWEB閲覧が一般的となり、生活者の情報源がTVや雑誌からインターネットへとシフトしはじめる。
このころ、店頭には「発汗」や「美肌」などをうたう、個包装タイプのバラエティ系入浴剤が多く並びはじめた。手ごろな価格で1回使い切りというパーソナルユースの商品群は、ネットや口コミで話題となり、1人暮らしの若年層を中心に広まっていく。

また同時期に大ブレークしたのが、バンダイの「びっくら?たまご」(2002年)である。たまご形の炭酸ガス入浴剤が溶けると、中から人形のおまけが出てくるというアミューズメント系の入浴剤だが、
お風呂嫌いの子どもが夢中でお湯に浸かる
と、小さな子どもがいる生活者の間で大人気に。トップブランド入浴剤に迫る売れ行きとなった。
一方で、就職氷河期、リーマンショックと立て続けに起こる出来事に翻弄され、多くの人が肉体的・精神的な疲れを抱えていた。

そうした人々の疲れを癒やす入浴剤としてツムラが上市したのが、発泡タイプの温泉入浴剤「きき湯」(2003年)である。日本有数の炭酸泉・長湯温泉の豊富な発泡を再現するため、入浴剤で初めて小石のように丸いツブ形状の「ブリケット」剤形を採用。わき上がるような発泡と、肌に付いてなかなか消えにくい気泡を実現した。また、
その日の症状、その日のうちに。
というキャッチコピーで、効能別にパーソナルな悩みに寄り添うことで、疲れを抱えた多くの人の心に響き、大ヒットとなる。
入浴剤市場に再編の動き
2000年代~2010年代には、入浴剤メーカーに大きな動きがあった。まずは2006年、ツムラの家庭用品事業部門がツムラ ライフサイエンスとして分社化、2008年に完全独立し、2010年には社名をバスクリンへと変更。さらに2012年にはアース製薬グループに加わったのだ。
また、2009年には入浴剤「バスキング」をもつキング化学を、白元が吸収合併。同社も2014年、アース製薬グループに加わり、白元アースを設立している。
そのほか、1985年からウエラジャパンの行ってきた「クナイプ バスソルト」の輸入・販売業務が、2008年創立のクナイプジャパンへと移管。ラッピングタクシーなど数々のプロモーションが話題となり、知名度がアップした。