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解熱鎮痛剤歴史市場シェア

2024年9月27日歴史・グラフ更新

1970年代規制強化の時代

「エキセドリン」 発売当時(1970年)の広告
承認基準が通知される前(1963年)の「バファリン」の広告には、「ちえ熱」の文字が見られる

「バファリン」を軌道に乗せたライオン歯磨とブリストル・マイヤーズは、1970年に「エキセドリン」を発売する。「バファリン」が解熱鎮痛成分と制酸成分を配合して「胃へのやさしさ」をメイン訴求にしたのと対照的に、「エキセドリン」は効き目の強さを訴求しており、2ブランドでより多くの層をカバーできるようにした。

1972年11月、厚生省薬務局長(当時)より、「解熱鎮痛剤製造(輸入)承認基準について」という通知が出る。このとき初めて、解熱鎮痛剤の効能・効果は現在と同じ

頭痛・歯痛・抜歯後の疼痛・咽喉痛・耳痛・関節痛・神経痛・腰痛・筋肉痛・肩こり痛・打撲痛・骨折痛・ねんざ痛・月経痛(生理痛)・外傷後の鎮痛、悪寒・発熱時の解熱

と定まったのだが、それまでは「リウマチ」「ちえ熱」などの効能が書かれることもあった。

1976年、塩野義製薬はアミノピリン製剤の「セデス錠」の販売を中止し、アセトアミノフェン製剤の「セデスA錠」を発売する。アミノピリンは、1960年代に多数の死亡例を出したアンプル入りかぜ薬の主成分だったこともあってか、前述の「解熱鎮痛剤製造(輸入)承認基準について」には記載されていない。さらにその後、アミノピリンの発がん性などが取り沙汰されたことから、塩野義製薬は販売中止に踏み切ったものと思われる。なお、アミノピリンの発がん性について明確な関連性は確認されなかったものの、「セデス錠」販売中止の翌年にあたる1977年に承認基準が改正され、アミノピリン含有の解熱鎮痛剤について処方変更の措置が講じられている。さらに1979年には、日本薬局方からもアミノピリンが削除された。

このようにして承認基準が厳しくなったことで、配置薬などの零細メーカーは適合できずに廃業したところも多かったというが、すでにTVCMなどにより「ケロリン」ブランドを全国区にしていた内外薬品商会は、大きな影響を受けずに済んだという。

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